【特集】「ビサヤ語」とは?~ビサヤ語コラムその壱~

「ビサヤ語」とは?

フィリピンには100以上の言語があると言われています。言語学者によって、どこまで差があると別の「言語」で、どこまでの差なら「方言」なのかの考え方が異なるので、正確な数字は出せませんが、とにかく「別の島に行ったら別の言葉」「車で3時間行けば別の言葉」というくらい、いろんな言葉が飛び交う国です。

そんなフィリピンの言葉の中で一番有名なのは「タガログ語」ですね。タガログ語は国際的にも結構重要視されていて、各国の大学で講座が開かれたりもするような言語です。日本でも東京外語大や大阪大外国語学部で専攻できます。

一方、ダバオ周辺で使われている言葉は現地の人たちに「ビサヤ語」と呼ばれています。タガログ語とは文法構造は似通っていますし、比較的新しい概念の単語は共通だったりもするんですが、なにしろ文章の根幹を成す動詞がほとんど違うので、方言どころか完全に「別言語」です。

ちなみに2つの言語がどのくらい似通っているか、というのは、「どのくらい単語がかぶっているのか」などで測るんですが、その分析方法だと、タガログ語とビサヤ語の間には、英語とドイツ語くらいの差があることになっています。

さて、そんなビサヤ語ですが、言語学の事典などを探しても、ビサヤ語という項目はありません。なぜならビサヤ語というのは、「ビサヤ地方の言葉たち」の総称だからです。ビサヤ地方というのはセブを中心としたフィリピン中央部の島嶼地域を指します。その一帯にはセブアノ語、ボホラノ語、ワライワライ語、スリガオノン語など、さまざまな言語があります。

これらの言語同士は「別言語と言えば別言語だけど、まあ方言とも言えなくはないかな、お互い、なんとか通じるしね」くらいには似ているので、ぜんぶひっくるめて「ビサヤ語」とざっくり呼ばれているわけです。京言葉と摂津弁と河内弁、泉州弁などを全部ひっくるめて「関西弁」と呼ぶような感じに似ているかと思います。

では、なぜビサヤ地方ではないミンダナオ島で、ビサヤ語がつかわれているのでしょうか?

歴史的には、ダバオ周辺で使われていた言語はバゴボ語やマノボ語、マンダヤ語といった言語です。それが第二次世界大戦以降、人口が爆発的に増えたビサヤ地域からの移住者が大挙してやってきて、その人たちが町を拡げていったことから、もともと住んでいた人たちは周辺に追いやられ、現在ではビサヤ語がダバオの中心的な言語になったのです。

とはいえ、移住者たちがみんなセブ出身だったり、ボホール出身だったりするわけではないので、中心言語はセブアノでもボホラノでもなく、その混交である「ビサヤ語」と呼ぶにふさわしいものになりました。さらにはマニラのほうからの言語の影響、スペイン語の影響、英語の影響もあって、それらが混じり合い、なんとも独特な言語に成長しています。単語レベルでは日本語の影響もあったりするくらいです。

この独自進化に教育制度がさらに拍車をかけました。長年にわたってフィリピンでは「現地語なんかより英語やフィリピノ語を勉強しなさい!」という風潮があったので、ビサヤ語は「これが正しいビサヤ語です」という教科書のようなものが作られることなく、学校で教えられることもなく、自由にのびのびと、枝葉を伸ばしていくことになったんです。

そんなビサヤ語ですから、ダバオ市内でも、人によって全然違った感じの話し方になります。教会の神父さん、大学の先生、漁師さん、ジープの運転手、夜のお店のお姉さん、トランスジェンダーな人たち、これらが、それぞれ「それらしい話し方」を持っていて、「え?本当に同じビサヤ語なの?」というくらい差があります。日本でも、同じ地域に住んでいたとしても、世代や職種、性別などによって話し方はずいぶん違いますよね。

ちなみに私はダバオに来て早々、教会の神父さんに聖書を使ってビサヤ語を教わったので、神父さん口調がうつってしまい、日本語で言えば「皆の者、我の告げることを心して聞くがよい。」みたいな話し方をしていたようで、ずいぶん友達に笑われました。

その後、ダバオの学校で長年働き、すっかりビサヤ語をマスターした気になっていた私ですが、今住んでいる田舎に引っ越してみたら、「まきひろい」「ほうきづくり」「酢になりかけのヤシ酒」などの、街で暮らしていた頃には全然知らなかった言葉が会話にポンポン出てきて、全然意味が分からず落ち込んだりもしました。

…とまあ長々と書いてきましたが、何が言いたいかというと「正しいビサヤ語」なんてものはありませんよ、ということです。

ですから、あまり気負わずに勉強しましょう。これだけいろんな種類のビサヤ語があるんですから、「日本人のビサヤ語」があったっていいじゃないですか。文法的なことや、細かい発音の差異は、それほど重要ではありません。なんなら単語は英語や日本語をそのまま使ったって、伝わるならそれでいいんです。

ビサヤ語が話せたほうが、ダバオでの生活は断然楽しくなります。人々の反応がガラリと変わります。さあ、みなさん、ぜひビサヤ語を勉強しましょう!

 

筆者プロフィール
澤村 信哉

児童養護施設ハウスオブジョイ 代表 Manager

1976年北海道生まれ、横浜国立大学教育学部卒。
大学時代にフィリピンを放浪するうちに日本語教育に目覚めてフィリピン日系人会学校の日本語教師となる。

教鞭をとる傍ら教材作成や教員養成にも携わり、ミンダナオ国際大学が開校する際にはカリキュラム作成にも参加。8年間の教員生活中に、1000枚の絵カードと、17冊の日本語教科書を作成、出版。

その後、キリスト教の神父になることを思い立ち、修道院に入るがすぐに合わないと気付き、今度はなるべくフィリピンに似ていない国に住みたいとブルガリアに移住。日本語教師として2年間を過ごす。

2008年、フィリピン放浪時に出会った児童養護施設ハウスオブジョイの創設者が病気に倒れたことを知り、フィリピンに戻り、施設の運営を引き継ぐ。現在は20人のこどもたちを現地スタッフたちと共に育てている。

特技は20種類の楽器演奏と、主たる収入源でもある似顔絵描き。