目次
はじめに
皆さんこんにちは!ダバオッチのリンです。今回はダバオで活躍する日本人にインタビューする、「YOUは何しにダバオへ?」のコーナー第7弾、インタビューさせていただいたのは、在ダバオ日本国総領事館の総領事である、石川義久さんです!
石川総領事は1987年に外務省に入省した後に、フィリピン大学教養学部に留学され、その後在フィリピン日本国大使館での勤務など長い期間フィリピンに関わってきました。2022年に在ダバオ日本国総領事となり、残留日本人のサポート、ミンダナオ和平支援、日本とミンダナオとの交流強化に尽力されています。
石川総領事の学生時代やフィリピンに初めて来たときのこと、総領事としての信念などを語って頂きました。是非最後までご一読ください!
【略歴】
生年月日:昭和38年(1963年)10月12日
1987年 外務省入省
1988年~1990年 フィリピン大学教養学部留学
1990年~1994年 在フィリピン日本国大使館三等書記官
2005年~2010年 在フィリピン日本国大使館一等書記官
2022年~現在 在ダバオ日本国総領事
在ダバオ日本国総領事館とは
総領事館は、大使館がその国の首都に置かれるのに対して、首都とは別の主要都市に設置されます。今回取材をさせて頂いた石川義久さんが総領事を務めている在ダバオ日本国総領事館はミンダナオ最大都市ダバオに位置しています。
役割としては、ミンダナオにいる日本人の生命・安全・財産の保護、証明書・旅券・ビザ等の発給、ミンダナオの情報収集・分析・経済関係や文化交流の促進を行っています。
今回は石川義久総領事に12個の質問に答えて頂きました!
Q1. YOUは何しにフィリピンへ?
初めてフィリピンに来たのは、1988年です。1987年に外務省に入省して、タガログ語を勉強するためにフィリピン大学に留学することを命じられました。その翌年から2年間フィリピン大学教養学部にて、タガログ語をはじめフィリピンのことを勉強しました。
→それ以前からフィリピンへ行きたい、タガログ語を勉強したいという気持ちはあったのですか?
いいえ。それ以前からそのような気持ちがあったわけではありません。外務省に入省した際に研修語学を決められるのですが、私の場合それがタガログ語でした。
→フィリピンに初めて来たときの印象
何事も思い通りに進まないと感じました。フィリピン大学で科目登録のため指定された場所に時間をかけて行っても、「ここじゃない、あっちの建物に行って」と言われることが多く、何度も行ったり来たりしていました。また、時間通りに進まないと感じることも多くありました。世界でみても時間通りに事が進む国は日本しかないのではないかと思います。そこが日本の良いところでもあり、ちょっと息の詰まるところなのかもしれないですね。
フィリピンに来て3ヶ月くらいは日本のことばかり考えていたのですが、その後、ふと気づくと、フィリピンにどっぷり浸かってしまい、日本ことはすっかり忘れて、フィリピンの方が居心地が良くなっていました。それ以来、フィリピンは私にとって第二の故郷です。
→フィリピンでの留学生活について詳しく教えてください
フィリピン留学期間は、当時フィリピン大学の敷地内で唯一ビールが飲めた(笑)ホステルの1人部屋に2年間滞在しました。旅が好きなので、長い時は12時間以上安いバスに乗ってフィリピン中を旅行していました。また、基本的に食べ物に好き嫌いのない人間なのでフィリピン料理もおいしいと思って食べていました。家庭料理のアドボやシニガン、カレカレ、魚料理など基本的にどんな料理も大好きです。
→フィリピン留学期間中の印象的な出来事
留学期間中、1989年12月に大きなクーデターが発生しました。その時、マニラにある日本大使館が反乱勢力に取り囲まれてしまい、自由に動ける身である私は様々な場所へ行って情報を集めては、大使館に電話をして報告をしていました。ある日の夜、大使館の近くにいた際に丁度戦闘が始まってしまい、自分のすぐ上空で曳光弾が飛び交っているのを見ました。
そこから、徐々に銃弾が周りの地面にもカツ、カツと落ちてきて、急いで建物の陰に伏せました。約10名程が私の上に飛び乗ってきて、押しつぶされて死んでしまうかと思うと同時に、銃弾が当たっても自分の上にいる人がまず死ぬだろうなと安堵したことを覚えています。状況が少し落ち着いた瞬間を見計らって、命からがら走って逃げることが出来ましたが、「もしかしたら死んでいたかもしれない」と背筋の凍るような出来事でした。
Q2.外交官を目指すようになったきっかけ
外交官になろうと決めたのは小学四年生の時です。歴史が好きで、日本の歴史に関する本やテレビをよく見ていて、日本のためになにかしたいという気持ちがその頃からありました。読んでいた子供向けの百科事典の中に世界の国々に関するものがあり、その中で色々な人と話をしたり、握手をしている外交官のイラストを見つけて、そうだ!外交官になろう!と閃きました。これが外交官を目指すようになった最初のきっかけです。
→どのような学生生活(小学生〜高校生まで)を送りましたか?
みんなと普通に楽しく遊んだり、目立たない子供だったと思います。中学校では野球部、高校では剣道部と書道部に入っていました。
小学四年生の時に外交官になろうと思った時から外交についての本をたくさん買っていましたが、まだ当時は読んでも理解できませんでした。でも、外交官になりたいという気持ちは中学・高校・大学とずっと変わりませんでした。
→なぜずっと外交官になるという夢を持ち続けたのか
理由は2つあって1つ目は「日の丸を背負って死にたい」という気持ちです。中学生の頃、これを友達にいうと中学生でそんな奴いないだろとよく言われていました。2つ目は「国のため家族のために亡くなっていった先人たちの名誉を回復したい」いう気持ちです。戦争で日本の軍人はとんでもない酷いことをした、人でなしのように言われていますが、僕は「ちがう!」と思っていました。もちろん酷いことをした人もいるけれど、大半の人が戦争に行って現地の人を殺したいなんて思っていなかったと思います。
やはり、当時の軍国主義や教育の中で、天皇陛下のために命を投げ出すという一つの正義で、洗脳されていたわけじゃないですか。戦争の現場は人間性も崩壊する究極の世界だったに違いありません。愛する家族や国のために尊い命を犠牲にした方々、遠い異国で戦闘だけでなく飢餓や病気で亡くなっていった方々、そんな彼らの無念を晴らしたい、尊敬の念を持って彼らの名誉を回復したい、そして二度と戦争を起こさない世の中を作るために働きたいということをずっと思っていました。
Q3. 大学生活について
大学生になっても外交官になるという夢は変わりませんでした。大学のヨット部に一年生から三年生まで在籍し、年間100日以上合宿していて、横須賀市佐島や江ノ島で、セーリングの練習やレースに打ち込んでいました。ヨットばかりしていて、あまり大学へ行っていませんでした。合宿では男40人くらいで、朝昼晩交代制で自炊をして生活をしていました。山盛りごはんに沢庵二切れとウインナー1本に味噌汁など、食費一日200円のような生活をしていました。そして合宿所は禁酒でお酒を飲んだら退部といったような、結構みんなで真剣にヨットに取り組んでいました。
合宿以外でもレースや普段の練習などヨットづくしの生活を送っており、また、強制バイトといって、建築現場や漁師さんの手伝いなどを、みんなで一緒にするというものもありました。そこでもらった給料はそのまま部に献上して、集めたお金はヨットを購入するためなどに使われていました。今思うとすごい世界ですね(笑)そんなヨットの仲間とは今でも交流が続いています。
→小学生の頃から歴史や外交官向けの本を読んでいたとおっしゃっていましたが、ヨットで忙しい大学生活の中でも、そのような勉強はしていましたか?
男40人程で雑魚寝をする合宿所生活のなかでは、夜にコンビニやファミレスに時々行ったりするのが楽しみでしたが、当時は携帯電話などもなく、時間が余りました。合宿所の布団の上で、憲法・国際法・経済原論のテキストを読んだり、英文のTIMEやNEWSWEEKを読んで英語を学んだりしていました。
Q4.YOUは何しにダバオへ?
初めてダバオに来たのは1991年か1992年頃に仕事で来ました。当時ダバオは麻薬や拳銃、殺人事件が多く殺人都市と呼ばれる程危険なところで、そんな危ないところに行くのかと周りのフィリピン人たちから言われたことを覚えています。実際にダバオに来た時も危ないところに来たな、という緊張感がありました。
当時ダバオ市長だったドゥテルテ氏(前大統領)を日本大使館が日本に招待する予定があり、それについてドゥテルテ氏とお話しする為にダバオを訪問しました。それ以降、現在までドゥテルテ氏とは数え切れないほどお会いしています。
その後2022年4月に在ダバオ日本国総領事として赴任しました。その時はフィリピン専門家として、やり甲斐のある仕事を任されたと身が引き締まる思いでした。
Q5.ダバオ総領事について
→在ダバオ総領事として普段どのようなお仕事をしていますか
日本人の生命・安全・財産を守ること、日本政府を代表してさまざまな行事への出席、経済・文化・人的交流の促進、日本の魅力や政策の発信をしています。
→ダバオ総領事として現在、力を入れて取り組まれていることは何ですか
フィリピン残留日本人問題、これは日本政府が責任を持って取り組むべき仕事ですし、高齢化が進んでいてあまり時間が残されていません。ダバオには日系人の方が多くいらっしゃるので、日系人の支援というのは特に力を入れて取り組んでいます。
それから、私が2005年から深く関わってきたミンダナオ和平プロセス支援には力を尽くしていきたいと考えています。せっかくミンダナオにいるので、平和と開発のためにできることは何でもやるつもりです。
その他には、経済、文化、青年交流などの支援や、ミンダナオの人々に親日家になってもらう為に日本の魅力をさらに伝えていくことに尽力しています。外務省の渡航情報において、ミンダナオは特別危険度が高くなっています。このような状況下では、投資、観光、留学など様々な視点において、日本からミンダナオへ人が来ません。日本では、ミンダナオは危険だと思われていますが、実態とは大きくかけ離れています。その危険度をできるだけ下げたいと考えています。下げることによって、日本からダバオへの直行便が出来たり、観光客や投資家が来るといった流れを作り、ミンダナオをどんどん盛り上げ、日本との関係を深めていきたいと思っています。
→ダバオ総領事、外交官の仕事の魅力を教えてください
色々な歴史の瞬間に直接立ち会うことが出来るということだと思います。国と国との交渉というのは、なかなか民間の人が入っていけない分野ですが、そのようなところに当事者として入っていって、歴史を目の当たりにできるというのは、外交官としての一番の魅力だと思います。また、”国のために”というのがやはり一番の大きな柱となっていて、そのような視点で物事を考えることが出来るし、考えなくてはなりません。
世界中に外交官がいるわけですが、そういう人たちは当然自分の国のために愛国心を持って仕事をしています。日本の外交官は日本のために、フィリピンの外交官はフィリピンのために仕事をしています。しかし、だからといって考えが合わないかというとそうではありません。お互いに理解し合いながら、相手の立場になって考えながら仕事をすることによって、国益と世界平和のために物事を動かしていく、これも外交官という仕事の大きな魅力だと思います。
Q6.コミュニケーションをとる上で大切にしていること
→普段から様々な人と関わる機会があると思いますが、人と関わる上で大切にしていることは何ですか?
フィリピン人、日本人関係なく普段から大切にしていることは二つあります。一つ目は心を開くということ、二つ目は相手の立場に立って考えるということです。自分を隠さないで自分をさらけ出すこと、自分の思いだけを言うのではなく、相手の考えていることや立場を考えて、これは言ってはいけない、してはいけないということを頭に置いたうえで、人と関わることを普段から大切にしています。
Q7.ダバオの魅力とは
マニラで長い間生活していた立場からすると、ダバオには”田舎の良さ”があると思います。マニラはやはり大都会なので、みんな忙しくしていますが、ダバオはのんびりしていて素朴で勤勉家で穏やかな人が多いです。親日的ですし、自然も豊富で、住むには最高の場所だと思います。
Q8.フィリピンを知るためにおすすめの本
『フィリピンを知るための64章』(明石書店)がフィリピンを様々な視点から知る入門書としておすすめな一冊です。64章のなかで気になる章があったら、参考書籍や著者を調べてより深くその分野を学ぶことが出来ます。それをきっかけにフィリピンを好きになってもらいたいです。
Q9.ダバオに来たら訪れてほしい場所
ダバオは豊かな自然と美しい海があるので是非来て頂きたいです。そして、日本ともとりわけ関係の深い場所なので、ミンタル日本人墓地や移民博物館など日本に関わる場所には是非訪れて頂きたいです。
(ダバオッチでは日本人と関係のあるダバオのスポットを紹介しています。気になる方はこちらをご覧ください)
Q10.休日の過ごし方
ゴルフや、犬(黒柴メス、2才)の散歩、大リーグ・ゴルフのテレビ観戦、読書、星を見ること、飲み歩きをすることが好きです。
Q11.日本の若者に対して一言
ガイドブックやガイドツアーが沢山あるような定番の旅行もいいですが、もっと自分で町の中に飛び込んで現地の人と片言の言葉で交流をしたり、日本と関係のあるところを見に行ったり、そんな不便な旅を是非若い感受性のあるうちにしてほしいなと思います。迷子になってこそ、新しい発見があり、素敵な旅になると思います。
Q12.ダバオッチ読者の皆さんに対して一言
ダバオは本当に良いところです。ぜひ、一度ダバオに来て、ダバオを実感してください。百聞は一見にしかずです。皆さんが世界に飛躍するひとつのきっかけになるはずです。
まとめ
今回はフィリピンのダバオで活躍する、石川義久総領事の特集でした!いかがでしたでしょうか?インタビューを通じて、石川総領事の外交官としての誇りや人との関わり方、一度決めたことをやり通す姿に触れることが出来ました。
今回の特集を通して石川総領事のダバオ、ミンダナオに対する考えや今後の希望を多くの方に届けることが出来たら幸いです。外務省の渡航情報を見て頂くと、ミンダナオはフィリピンの他地域と比較しても危険レベルが高いことが一目瞭然です。しかし、石川総領事がおっしゃるようにダバオは本当に治安が良く、自然も美しく、さらに日本とも関係が深いところなので、今後ミンダナオの危険度が下がり、より多くの方にダバオをはじめとするミンダナオを訪れてほしいと思います。
個人的に、小学四年生の時に思い立った夢を中学校、高校、大学と思い続け、現在までその仕事を続けていらっしゃることにとても驚きました。ここまで長く一つのことに一途でいるのは簡単なことでは無いと思います。また、石川総領事が人と関わる上で大切にされている”心を開く、相手の立場に立って考える”ということが心に残りました。これまで国際人として様々な方と関わってきたからこその言葉なのではないでしょうか。
また、石川総領事が尽力されている「残留日本人二世」については、こちらの日刊まにら新聞、佼成新聞DIGITALの記事、また「ミンダナオ和平」については、こちらのフィリピン協会会報の記事(P40〜P46)で紹介されているので、合わせてご覧下さい。