皆さん、こんにちは!ダバオッチのホノカです。前回2回に分けて特集した、ミンダナオ子ども図書館(MIndanao Children Library 通称:MCL)の記事はご覧いただけましたか?まだご覧になっていない方は、そちらも合わせてご覧ください!!
ダバオで活躍する日本人にインタビューする、「YOUは何しにダバオへ?」のコーナーですが、今回はダバオを飛び出してミンダナオで活躍する、ミンダナオ子ども図書館の現地スタッフ、宮木梓(ミヤキ アズサ)さんにインタビューしました!アテはお姉さんという意味で、子ども達からもアテ・アズサと慕われています!
梓さんはフィリピン農地でのボランティアを経たあと、MCLのスタッフとなり、マノボ族と結婚、フィリピンでの子育てとパワフルなフィリピンライフを送っています。取材を通して梓さんの人生、夢、子ども達への熱い想いなど沢山のお話が聞けたので、ぜひ最後までご覧ください!
【略歴】
2007年 フィリピンネグロス島の農場でボランティアを始める
2013年 8ヶ月間アメリカへ語学留学
2014年 留学が終わってMCLに滞在
2015年 正式にMCLのスタッフに
2021年 長男出産
2023年 マノボ族の旦那さんと正式に結婚
目次
YOUは何しにフィリピンへ?
大学卒業して1年後に栃木県にある、農村リーダー養成専門学校の「アジア学院」でボランティアを始めました。アジア学院は海外の貧しい農村で暮らす人々を日本によび、有機農業を通して自給自足をしながら、農村でリーダーになり、地元のコミュニティを改善するためのことを学ぶ学校です。
ボランティアを1年終え、2年間インターン・パートとして残った後に、アジア学院の卒業生のシスターが携わるフィリピンネグロス島の農場に、2007年6月から1年間行くことになりました。最初は1年と考えていましたが、結局2013年まで、日本でバイトしてお金をため、ネグロス島の農地に戻るという生活を続けていました。元々はフィリピンに興味があったというよりは農業をやりたくてたどり着いた場所がフィリピンでした。
ネグロス島の農民は1日100ペソで雇われていてとても貧しく、皆サトウキビの作り方しか知らないためにサトウキビばかり作っていましたが、サトウキビの値段が下がったり、農園が閉まったりした時に米や野菜も育てることによって自分達の生活を守っていきましょうという啓蒙活動をしているモデル農場でした。
農業に興味を持ったきっかけはタイのバンコクの近くにJVCという日本のNGOが携わっている農場があり、学生時代何度か足を運んでいた時に、そこにいた人が「農民は世界中どこでも生きていける」と言っているのを聞き、かっこいい!と思ったことです。
Youは何しにMCLへ?
ネグロスの農村では土曜日に1日農場で働いたら、貧しい高校生の子供達に120ペソの奨学金を渡していました。その奨学金支援を行っていた方が、いつもネグロスに来た後に、MCLに足を運んでいたので、ネグロスにいるときにMCLの名前を知りました。そしてバイトとボランティアを繰り返しているうちに30代になり、このままじゃまずいと思い、一旦フィリピンにいてあまり伸びなかった英語を学ぶために2013年から2014年にかけて8ヶ月間アメリカに語学留学をしました。その時はアメリカから帰ったら就職してお金を貯めて、日本で自分の農地を探そうと思っていました。
ネグロスでの生活が好きでしたが、金銭面やビザなど現実的に難しいと考えていたので、就職したら長期でどこかに行けなくなってしまうなと思い、その前に日本人でミンダナオで長く生活するMCL創設者の松居友さんに会いにいき、どのように暮らしているのか気になって、松居さんに会いに行きました。3週間の予定でしたが、ちょうどその時いたスタッフが産休に入るタイミングと重なり、日本人スタッフを探していたので1年間働くことを決めました。
しかし、産休が終わった時に辞めるということになり、そのまま自分が引き継ぎ、2015年4月から正式にスタッフとして働いています。元々子どもに関わる仕事をしようとは思っていませんでした。
▷ミンダナオに対する不安は?
ミンダナオ島では1969年から半世紀にわたって、宗教、政府などが複雑に絡み合う戦争が起こっていました。そこに対しての不安がなかったのかという問いに対して、梓さんはニュースでテロがあったとは聞いたことがあったが、危ない場所には行かないだろうと思っていたので怖いとは思っていなかったそうです。
ミンダナオにきて、そこまで身の危険を近くに感じた経験もまだないです。MCLの中に入れば安全を慎重に確認しているのもあって個人で動くより安全だと思います。
バックグラウンドが異なる子ども達と関わる上で気をつけていること
悲惨なバックグラウンドが明らかに目に見える子ども達はほとんどおらず、一見みんな普通に見えます。実家でご飯をあまり食べることができないために、食べ物への執着がすごかったり、ご飯を食べ切れない量よそってしまいずっと食べていたりというのは新しく入ってきた子どもあるあるです。だんだん学んで、3ヶ月もすれば落ち着いてきます。
家で性的虐待を受けてきた子どもも多いですが、その子ども達はバックグラウンドを隠したがる子も多く、スタッフ間でもソーシャルワーカーとスカラーシップのみという限られたスタッフだけでの共有事項としています。自分の経験をどれだけ周りに言うかは個人個人によります。
そういう沢山の子どもと過ごす中で気をつけていることは、『自分のペースを守ること』です。あっち行きたい、これしたいなど子どもが要求してきても振り回されず、合わせすぎないことで体力的にも維持できています。嫌な時はしっかり断ります。対応を特別にせず、「普通」にすることが大切だと思います。
施設によっては友達や家族みたいに接してはいけないという決まりもあるそうですが、自分はスタッフと子ども間に一線を引かず、友達のように悩み相談をしたりもします。これはあえて気をつけていないことです。子ども達と話すことによって精神的にも楽になったりもします。
マノボ族との結婚
梓さんはミンダナオ島のマノボ族という民族の旦那さんとご結婚されました!🎀マノボ族との結婚についても根掘り葉掘り聞いてみました。
正式に書類を出して結婚したのは2023年2月、事実婚状態になったのは2歳の長男が生まれたごろです。結婚して3年経ちました。旦那さんはマノボの先祖が代々引き継いできた土地で、今はバナナを育てています🍌
出会いはMCLで働きながら、奨学生(スカラー)の子を支援している中で、スカラーの高校生の1人がルール違反を繰り返してしまう悪い子で、どうしようと困っていたときによく相談にのってくれたのが、そのスカラーのはとこである今の旦那さんだそうです。
梓さんは年の差は18歳あって、マノボ族という文化の違いもある旦那さんとご結婚されましたが、全てが行き当たりばったりのなり行きでした。元々どんな人種や民族と結婚したいというのはなく、たまたま良い人がマノボ族だっただけのことですね。価値観・文化の違いで苦労した事もありますが、受け入れざるをえない生活をしています(笑)
MCLでの子育て
ずっと仕事を一番というのは考えている梓さんですが、お子さんが生まれて大変さの中に楽しさがあり、お子さんが生まれたことは人生が変わる大きな出来事になったそうです。日本とは異なる育児について聞きました!👀
フィリピンでは子供が周りにいる環境が当たり前だからか、日本にある子供の責任は全て親が持つというような考えがなくて、子供が泣き叫んでも周りの目が温かいです。お母さんを責めるのではなく守る考えが当たり前にあります。
他人の子と遊んだり、触ったりすることに抵抗がなくいつも周りのスタッフや子ども達が世話をしてくれて助かっています。勝手にお菓子やご飯を食べさせててびっくりすることもありますが、伸び伸び育っていて良いわという気持ちです(笑)
フィリピンで育てていて良いことばかりですが、逆に大変なことは日本のような発達検査がなかったり予防注射も異なっていたり医療関係での心配事はあります。また、住民票を置いていないので、児童手当がないことも大変です。
しかし周りのスタッフさんに子育て経験者も多く、相談できる人が多い環境ので孤独感なくやれています。 日本だとちょっとした言動の遅れも心配しますが、ここでは皆一緒のクラスで勉強し、生活がしっかりできるようであれば勉強や知能での遅れはあまり気にしません。そういうことが原因でのいじめもありません。 子どもにとってもMCLは楽しく安全な環境で公園に連れていかなくても大声で自由に遊べて逞しく育っているので日本で育てるよりも良いなと思っています。
「ボランティア」への考え方
梓さんは長年のボランティア経験を経て今はスタッフとして働いています。筆者もボランティア経験があり、MCLに日本から訪問者もやってくる中で、「ボランティア」というものへの考え方を聞いてみました!!
梓さんは兵庫県西宮出身で中学2年生の時に阪神淡路大震災を経験しました。断層地帯からは離れていて、建物の倒壊はなかったものの1か月ほどガスや水道が使えない状況でした。そこまでボランティアを良いこととして教えられてきて、日本にいたらボランティアをする側としか思っていませんでしたが、阪神淡路大震災の時にはじめてボランティアをされる側になりました。これがボランティアというものへの考え方が変わったきっかけでした。
自分が被災者である自覚が強くあったわけではありませんでしたが、周りから見て、被災地の子どもというレッテルで写真をとられたり、自分を可哀想とは思っていなかったけれど、可哀想に見られていたりと、される側とする側の見え方のギャップに気づき、今までの自分が絶対に支援する側であるという考えが傲慢であったと考え直しました。
ボランティアをする側の「してあげる」ような態度を自分も取っていたなと気づいて、ボランティアは自分が思っていたよりも良いものではないなと感じた時に国際協力は自分はやらないだろうと思いました。
ネグロスにボランティアに行った時は、ネグロスの人のためになにかしたいと思って行ったというのではなく、自分の農業体験のためだと考えていましたが、周りからは先進国から来て支援しにきたと見られるそのギャップを解消したくて、長く続けていれば生ぬるい上から目線の気持ちでないことを周りにわかってもらえるだろうと思って5年以上続けていました。
梓さんの考えるボランティアは、「支援というよりは無償で自分がしたいからする」です!もしかしたら日本人から見たら様々なバックグラウンドを抱えるMCLの子ども達が可哀想に見えると思う人もいるかもしれませんが、MCLの子供達はのびのび幸せそうに生活していて、日本の子供達の方が窮屈さに苦しみを抱えているのかもしれません。自分の価値観を押し付けないことがボランティアにとって大切なのだと梓さんのお話を聞いて改めて考えました。
日本の子供達、若者への思い
ここで育つ子供達はやりたいことがあって自分らしさを保ちながら生活できるのが当たり前で、日本の子供達の中には将来やりたいことがなかったり、将来の希望のなさに絶望したり、する子もいると思います。日本の子供達には、3食食べられるのが当たり前であることと同じように、自分らしさを持ってのびのび生きていけるのが当たり前になって欲しいと思います。日本の子供達が孤独感を感じず、精神的幸せを感じられるようになって欲しいです。MCLが日本の子供、若者にとっても自分らしくいられる一つの居場所であり続けられるようにしたいです。
日本からの支援がとても助かっていて、支援がなければ生きていけない状況ではありますが、日本からの訪問者の方は支援という形ではなくて、お互いに関わり合ってお互いがより良い方向を目指せればと思います。
日本から来た若い訪問者は口を揃えて、日本では周りの目を気にして生きていたけれどMCLでは自分らしくいられると言うそうです。MCLでの2日間を通して、自分らしさを受け入れる環境が当たり前にあれば良いなと強く思いました。
やりがいを感じる瞬間
もちろんMCLの子どもが戦争のない環境でお腹いっぱい食べれることにも喜びを感じるが、支援者さんが喜んでくれた時に1番やりがいを感じます。写真や手紙を通して常々報告することを通して、支援者さんに支援することで幸せな気持ちを感じてほしいと思っています。支援者さんの中には、支援することが人生のハリになっていると言ってくれる方もいて、写真を送ることで少しでも身近にMCLの子供達が元気に生活できていることを感じて、嬉しい気持ちになってもらいたいです。
アテ・アズサが目指す未来
MCLとしての未来
①農業で自立していくこと
日本からの寄付に頼り続けるのではなく、農業での自立を目指しています。 MCLでの記事でも紹介しましたが、MCLはお米を自給しているのに加えて、野菜やフルーツも育てています。お米を多く作って売ることによっておかずの自給にもつながります。
②先住民の文化を残していくこと
今はフィリピンでも携帯が普及し、子供達も使うようになって、それまで電気がなくておじいちゃんやおばあちゃんがその民族の言葉で昔話をして受け継がれていた物語も急速に減っていっている状況を見て、できればそれぞれの民族の言葉で絵本を作って、日本の人たちにも紹介したいし、現地の子ども達も自分の民族の文化を学べるものを作れたら良いなと思っています。物語だけではなくて、歌や踊りの文化も残していきたいと考えています。
③日本の子供達の精神的幸福
ミンダナオの子供達だけではなくて、日本の子供達が精神的孤独から抜け出す方法がミンダナオにはあるのではないかと思っていて、日本で辛くても飛び出してこれる場所があることを知ってもらいたいと思います。日本でも自分らしくのびのびできる環境が当たり前になって欲しいと思います。
アテ・アズサの未来
旦那さんが3月から農業を始めましたが、肥料などの必要経費が収入の3倍かかる赤字続きの状態です。まずは収入と経費が同じくらいになることを目指しながら、バナナに切り替えたので、より多くのフルーツや家畜を育てたいと思っています。農業に関心があったことから、自分自身の生活も自給的な生活に寄せていきたいです。ベースはMCLでスタッフを続けながら旦那さんの畑でマノボ族の家族と自給自足ができたら良いなと思います。息子もMCLの子どもも、好きなことをして好きなように生きていってくれることを願っています。
今まで大変な暮らしをしてきた子達がとりあえずお腹いっぱい食べて学校行けて笑って過ごせるような環境まできて、それまでチャンスがもらえなかった子達もチャンスがもらえる、そのチャンスをどう活かすかは自分次第なので、後悔しない人生を自分で選択して欲しいと思っています。幸せは多面的なので、自分は自分らしく人生を楽しんでほしいです✨
まとめ
梓さんは形を変えても、農業という本当にしたいことはブレずに活き活きとパワフルな生活を送っていました。女性にとってとても大きなライフイベントである、結婚・出産をミンダナオという土地で行うことを選択した梓さんからは、諦めなければなるようになるという強い精神力を感じました!
ボランティア経験のある方なら一度はボランティアの意義について考えたことがあるのではないかなと思うのですが、支援をすることやボランティアについて、長年ボランティアに携わった梓さんの意見を聞くことができたのも有意義でした。
MCLの子ども達はとても伸び伸び育っていますが、それをしっかりと見守ってくれるアテ・アズサのようなスタッフ陣がいてこそなのだなあとインタビューを通じて思いました。今回でMCLの記事は最後となりますが、MCLの魅力が少しでも伝わっていれば嬉しいです。
以下のMCLの記事、ホームページも合わせてご覧ください😁
【特集】多民族の子ども達が一つ屋根の下!ミンダナオ子ども図書館滞在日記〜前編〜
【特集】多民族の子ども達が一つ屋根の下!ミンダナオ子ども図書館滞在日記〜後編〜