【News】ダバオの旧日本人街を巡る「ふるさと日本遺産ツアー」が9月始動へ

戦前のダバオ日本人学校の様子 ダバオは戦前2万人もの日本人が居住し、東南アジア最大の日本人街を形成していた。

ダバオ市政府は、市観光運営局(以下CTOO)を通じて、日本の歴史遺産を紹介する観光ルートを開設する。このルートでは、市内に残る旧日本人ゆかりの施設を巡ることができる。

第1弾として公開されるのは、かつて「リトル・トーキョー」と呼ばれたミンタル地区およびカリナン地区に点在する史跡である。これらの地区は、戦前にアバカ繊維産業を中心に栄えた日本人コミュニティの拠点として知られている。

CTOOの観光担当エキスパート、グレイシー・プラタ氏は「バランガイホール(地区の行政施設)、太田恭三郎氏の祠、ミンタル小学校、そして移民博物館を巡ることができます」と話す。

また、かつて日本人コミュニティの墓地として使用されていたミンタル墓地や、カタルナン・グランデにある「永遠の平和の記念碑(「日本平和記念祠」とも呼ばれる)」も、この観光ルートに含まれている。

ミンタルにあるフィリピン日系人学校内の「フィリピン日本歴史博物館」では、かつてこの地に存在していた日本人コミュニティの暮らしを垣間見ることができる。最盛期の1930年代には、約2万人の日本人移民がこの地方で生活していたとされる。

リトル・トーキョー」のその他の見どころには、日本人によって建設され、現在も電力会社により使用されている灌漑用水路がある。続いて訪れるバランガイホールでは、当時の遺物や第二次世界大戦の遺品、古写真などが展示されている。

プラタ氏によると、この観光ルートはダバオ市中心部にあるサンタ・アナ港から始まる。この旧港は、日本人移民が新天地での生活を始めるために船から降り立った場所である。市内中心部のもう一つの立ち寄り先は、ミンダナオ大学(以下UM) ボルトン校である。

「ボルトン、つまり現在のUMは、かつて日本領事館があった場所です。その後は市庁舎のあるサン・ペドロ通りへ向かい、『大阪バザール』など、かつての日本人商店の跡を辿ります」と説明する。

現在、ダバオ市では観光ルートに追加する新たな目的地についても調査・研究を進めている。また、アバカ事業で知られる日本人実業家、古川義三氏が倉庫を所有していたトリル地区でも、新たなルートの開設を予定しているという。

すでにトリル地区では、古い倉庫や事務所、記念碑、日本人労働者の墓地など複数の関連施設が確認されており、これらを今後調査・地図化したうえで、別の観光ルートとして展開していく計画である。

プラタ氏によると、「ふるさと日本遺産ツアー(Furosato Japanese Heritage Tour)」と名付けられたこのツアーには、7か所の見学地が設定されているという。

「“Furosato”は日本語で『故郷』を意味します。ここダバオは、当時の日本人にとって第二の故郷であったのです」とプラタ氏は語っている。

この観光ルートは、観光月間にあたる9月の公開を目指して準備が進められている。

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