【コラム】セジマかな…サウシマかな…新たな証言を映画のカメラが捉えた瞬間

新たな証言を映画のカメラが捉えた瞬間

猪俣典弘(いのまた のりひろ)
1969年生まれ、横浜市出身。Asia Social Institute司牧社会学修士。
在学中フィリピンの農村、漁村にて、上総(かずさ)堀りという日本の掘り抜き井戸の工法を用いて現地NGOと共同で井戸掘りを行う。大学卒業後、海外、日本のNGOより旧ユーゴスラビア、フィリピン、ミャンマーに派遣され、現地勤務を経験。2005年から認定NPO法人フィリピン日系リーガルサポートセンターで太平洋戦争によって離別、死別を余儀なくされた日本人2世の親族探し、国籍回復支援している。2011年から日比NGOネットワーク運営委員副代表。
ダバオッチ創設者のハセガワ氏とは同志であり、10数年来の飲み仲間。


今年は戦後75年目という節目の年である。この年に、フィリピン残留日本人問題を丁寧に取り上げたドキュメンタリー映画が全国公開になるというのは感慨深い。『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』は、おそらく、フィリピンの残留日本人にフォーカスした初めてのドキュメンタリー映画だろう。

歴史的にはほぼ同じような経緯をたどってきた中国残留孤児の状況と交互に描きながら、日本政府による肉親捜しや日本での生活支援などを勝ち取ってきた中国残留孤児と、自力での国籍回復しか道がなく、置き去りにされたままのフィリピン残留日本人、くっきりと明暗のわかれた今を描き出している。

平均年齢80歳を越えた彼らに残された時間は少ない。日本の市民や政府に、フィリピン残留者の小さな声、声なき声を一日でも早く届け、救済の道を開きたい。その思いに突き動かされて、我々のNPO(フィリピン日系人リーガルサポートセンター・以下PNLSC)代表理事で弁護士の河合弘之氏が制作を決意した映画だ。

監督を務めたのは、テレビCMの演出などで活躍中の映像作家・小原浩靖氏。カメラははやしまこと氏。PNLSCの全面協力のもと、25日間に及ぶフィリピンロケが行われたのは2018年3月から4月にかけてのことだった。ちょうど乾季の真っ最中、ジリジリと南国の日差しが照り付ける中、北はルソン島のバギオ、パンガシナンから、マニラ、バターン、セブ、パラワン(本島とコロン島)、そしてダバオと、フィリピン全土をクルーとともに回った。