数年前から日本でも取り沙汰されてきたいじめ問題。しかし、そのあまりの残忍さや頻度から、なくすことは不可能なのではないかと考えられてきた。そんな中ここダバオでは、条例の説得力を使っていじめ問題に立ち向かおうとしている。
ダバオ市議が「いじめ防止条例」の制定を推進している。
2022年7月12日(火)、エンゾ・ビラフエルテ(Enzo Villafuerte)議員は特権演説の中で、この条例案は、一部の人々が “普通の出来事 “と考えているいじめの発生に対処することを目的としていると述べた。
「この条例を通じて、いじめは正義を伴う行為ではなく、誰かに正当な理由を与えるものでもないことを認識し、市民の一般的な福祉と幸福をさらに促進します」と続けた。
さらにビラフエルテ氏は、いじめは「容認できない、嘆かわしい、市民の幸福にとって良い兆候ではない」と付け加えた。
いじめは学校だけでなく、職場やネット上でも存在すると、ビラフエルテ氏は考えており、「いじめは、悪さをした人だけではなく、加害者にも残ります。いじめの常態化は極めて危険です」と、同議員は語った。
また、「普段の雑談と本格的ないじめは区別するべきだ」としており、「人間の自由な権利行使には限界がある」とも述べた。
ビラフエルテ氏は、「私たちは、不快で好ましくない行動と、許容できる行動の境界線を定義しています」とスピーチを締めくくり、その後、条例案が第1回目の審議で可決・成立した。
この世から犯罪者が消えてなくならないように、いじめもまた、存在し続けるだろう。いじめられている側が何よりも恐れているのは、いじめてくる子でも友達でも先生でも親でもなく、空気である。それは可視化できず、具現化も難しい。ときにそれは大きく膨れ上がり、ついには子供を押しつぶしてしまう。だから誰もが見て見ぬふりをし、誰も手を差し伸べることができない。現状、いじめの早期発見が最善策であることに歯がゆさを感じつつ、そういった時に自分自身がいい意味で空気を読めない人間であると信じたい。