【ミンダナオッチ】フィリピンの偉人ホセ・リサールゆかりの地、ダピタンをめぐる!

ホセ・リサール
ホセ・リサール

皆さんこんにちは!ダバオッチのミズキです。今回からはディポログ編。と言いつつ、ディポログの街からは少し離れてダピタンを特集していきます。

ダピタンはディポログから車で約30分の隣町。マニラやセブ、ダバオと比較すると、だいぶ田舎でのどかな雰囲気です。フィリピン史上最も偉大な英雄、ホセ・リサールゆかりの地として知られています。ここではかつて、リサールが4年間の流刑生活を送っていました。彼の足跡が今もしっかり残っており、当時の生活が伺えます。

都市部からは離れますが、歴史的な場所を巡って旅をしてみたい方にはぜひ行ってみてほしい観光地です。それでは一緒に、ホセ・リサールの人生を辿っていきましょう!

まずはミンダナオッチのおさらいです。

ミンダナオッチロゴ

ミンダナオッチでは、ダバオを飛び出して未開の地、ミンダナオ島全体の政治、経済、観光、治安、おすすめ情報を皆さんにお届けします。

ミンダナオ島の話

ミンダナオ島はフィリピンでルソン島(マニラ首都圏のある島)の次に大きな島で、ダバオッチの本拠地ダバオ市がある島でもあります。フィリピンの南部、赤道に程近い低緯度にあるため常夏の気候が特徴です。日本では見られない植物の緑に、建物のレンガ色の屋根、真夏の空の青と、ビビッドな色彩が印象的です。

この島は、首都マニラがあるルソン島に比べて、ムスリム(イスラム教徒)が多い地域です。かつては紛争があり、その影響で治安に不安があると思われがちです。しかし現在は、日本とまでは行きませんが、かなり落ち着いてきました。都市により雰囲気は違うものの、明るく温かく人が多いです。

観光地としては、中小規模の都市が島内各地に点在しており、それぞれ美しい海を持っています。まだ大手資本に見つかっていないのか、あまり手の入っていない秘境の海がたくさんあります。行くなら今のうちです。ちなみにフィリピン最高峰のアポ山(標高2,954m)を頂くのもこのミンダナオです。

海だけでなく、スペイン占領期の歴史ある街並みや、それ以前から紡いできた独自の歴史も街ごとに異なります。行く都市によって「ミンダナオ島」のイメージがガラッと変わることでしょう。

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ディポログの話

ディポログ(Dipolog)はサンボアンガ半島の北端近くに位置する、サンボアンガデルノルテ州の州都です。サンボアンガ市とは姉妹都市の関係を結んでいます。人口は14万人弱(2022年12月31日時点)と、規模は東京都の武蔵野市や沖縄県の沖縄市と同じくらいです。

主要産業は水産業や農業。そこまで背の高い建物はありません。少し奥に入ったところにあるリナボ山という山の頂上からは、ディポログの街を一望することができます。シカヤブビーチというビーチの方に行くと、地元の人々が魚を開いて乾かしたり、海で遊んだりする様子が見られます。観光客がそこまで多くない分、自然体の暮らしを知れるのが魅力です。

もちろん州都のため人口密度はそこそこ高く、中心街は活気に溢れています。街の中心自体も大きすぎず、徒歩でも色々見て回れます。個人の店や屋台も多いです。同じ半島に位置するサンボアンガ市とも異なる、独特の雰囲気が楽しめます。そこから少し離れたダピタン(Dapitan)の町やダカク(Dakak)のリゾートまでは、トライシクルで行くことができます。

ダバオからディポログまでの行き方

ダバオからディポログまでは空路がおすすめです。ダバオからの直行便はありません(2023年5月現在)。フィリピン航空ではマニラ経由で、セブパシフィック航空ではマニラかセブ経由で乗り換えがあります。所要時間は乗り換えを含めて約7時間〜です。

ディポログからダバオまでも同様にセブかマニラを経由します。所要時間は乗り換えを含めて約5時間半〜となっています。

セブパシフィック航空

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ホセ・リサールの話

ホセ・リサールは1861年にルソン島で生まれました。フィリピンで農学と医学を修め、大学を卒業した後、1度目のヨーロッパ留学へ。この留学期間中に哲学と医学を修めたほか、約20もの言語を習得(!?)。代表作の『ノリ・メ・タンヘレ』を出版しています。

26歳の時に一度フィリピンに帰国しますが、この著作が反植民地主義的だとして、当時フィリピンを統治していたスペイン政府に目をつけられてしまいます。フィリピン国内では自分の身の安全が危ぶまれるとして、2度目の留学へ。

2度目の留学先もヨーロッパでしたが、往路で日本にも滞在しています。この留学後、香港で眼科医として開業。それでも捨てきれなかった望郷の念を背負って帰国し、穏健的な改革を進めようと組織づくりを始めます。

しかしそれもスペイン政府の目には脅威でした。当局により逮捕されたリサールは、1892年、ダピタンに流され、4年間をそこで過ごします。当時彼は軍医としての職を望んでおり、1896年にはキューバへの赴任が認められていました。

ところがその道中で、急進的な改革組織であるカティプナンの独立闘争が始まってしまいます。当局の意向でフィリピンに送還されたリサールは、1896年12月30日、その責任を負わされて処刑されてしまいます。35歳という若さでした。

彼がいなければフィリピンは今も植民地として支配されていただろうと、フィリピンの人々は語ります。少なくとも、現在のフィリピンとは全く違う国になっていたでしょう。フィリピンの学校では、数学や英語などと同列に、「ホセ・リサール」という教科があるほどの存在なのです。

フィリピンの教員試験では、リサールが飼っていたペットの名前まで答えさせるのだとか!リサールの兄弟の名前を暗記するための替え歌も存在しているようです。

フィリピンの独立に不可欠だっただけでなく、個人としても「万能の天才」と言われているホセ・リサール。ダピタンでは、彼をさまざまな面から知ることができます。

ホセ・リサールの生涯がわかりやすく、漫画でも描かれています。まずはこちらを読んでみてください。(スキマで無料公開中です。)

ホセリサール漫画

Rizal Park and Shrine Dapitan リサール公園

ダピタンの中心からやや北に位置するリサール公園。ここにはホセ・リサール博物館や、かつて彼が過ごした家などがまとまっています。入場料は無料で、土日も開放されていますが、月曜日は閉まっているのでご注意を!営業時間は午前8時から午後4時までです。

入ってすぐ右手にホセ・リサール博物館、そこからリサールの像や住まい、仕事場などが点々と広がっています。まずは博物館から見ていきましょう!

Museo ni Jose Rizal, Dapitan リサール博物館

まずはここでホセ・リサールのことを基礎知識をつけていきましょう。リサールについて詳しく取り扱っている博物館は、フィリピン国内に数カ所ありますが、ここもその1つ。特に流刑時代の活動についての資料が細かに取り揃えられています。

入り口のガラス面以外には装飾が施されています。すごい力の入れ具合です。

入ってすぐに「ダピタンへの流刑」の展示がお出迎え。原題のPagtaponという語の元の意味は、「捨てること」。ダピタンの地へ打ち捨てられたリサールは、どのような生活を送っていたのでしょうか。

欠片のような形の板には、タガログ語や英語で、流刑当時彼が家族に宛てて書いた手紙の文章が綴られています。

当時リサールが着用していた服と、パジャマです。流刑と言えど、きちんと衣食住が保障されていたのがなんとなく分かります。手厚いですね。

彼の関係者の資料や、教師としての活動の資料なども残っています。後で紹介しますが、リサールの生徒たちの寝泊まりする建物も、公園内で見ることができます。

農業、水産業も行っていました。修めた学問が多すぎて忘れそうになりますが、元々彼の専門は農学。彼はここで土壌や植物、海洋生物の研究も行っていたそうです。

1階から2階へと上がる階段では、一番有名なリサールの肖像と共に、彼の言葉が大きく飾られていました。ミンダナオ島でこんなに純粋なタガログ語を見ることはあまりないので、少し変な感じがします。

2階には医師としてのリサールを描いた絵画がありました。この絵は、彼が自身の母親の目を治療した際の様子を描いたもの。流刑以前にも香港で眼科医として開業していますから、その腕は確かなものだったのでしょう。

リサールは詩才にも恵まれており(属性過多ですが実在の人物です)、フィリピンで学んでいた当時、スペイン語の詩のコンテストで最優秀賞を受賞するほどの実力の持ち主でした。ここまで行くと逆に何ならできないのか気になってきます。

こちらはリサールが海で収集し、研究したという海洋生物です。流刑地にいながら、限界大学生のテスト期間のような忙しさを想像してしまうのは、過大評価でしょうか。

博物館の展示は他にも色々あったので、旅先の歴史を知るのが好きなら、じっくり時間をかけて解説にも目を通してみてほしいです!ボランティアのガイドさんもいるので、彼らから話を聴きながら回るのも1つの手。

園内

博物館の横には、リサールの像があります。等身大のようですが、彼は身長は4フィート11インチ(約149センチメートル)とかなり小柄だったのだそう。

続いてはこちらの八角形の建物。リサールがダピタンに来てすぐの頃は診療所として使われていましたが、後に別の場所を診療所にします。生徒たちの寮や、彼の恋人ジョセフィンがダピタンに到着して初めの頃に使用した建物でもあります。

さらに奥に進むと、リサールが当時住んでいた家が建っています。彼はここに恋人と暮らしていました。中には書き物をするための机や、区切られたベッドルームがあります。部屋は広々としており、過ごしやすそうな雰囲気でした。

キッチンは別棟に入っています。

海側に進むと見えるのが、先ほどの八角形の建物の四角形バージョンです。建物の中はリサールの生徒たちの寮として使われていました。木や竹で作られたベッドを所狭しと並べて、10人ほどが雑魚寝していたそう。かなりギチギチに詰めて寝ていたことが分かります。風通しが良さそうなのが救いですね。床下はワークショップの場所としても使われていました。

海に一番近いところには、ハート型の巨大な岩が鎮座しています。上に登ると海が見え、リサールはこの岩の上で、ジョセフィンとよく夕日を眺めたのだとか。右側の写真は上から見た景色です。凪いだ海が心を穏やかにしてくれます。

フェンシングの練習をしていた場所です。農学と医学と哲学を専攻して、語学が堪能で、詩才があって、国の独立に貢献して、しかもフェンシングまで嗜む……?本当に?本当に実在したのでしょうか。ダヴィンチ以来の万能の天才とは彼のことを指すのでしょう。

当時のリサールの暮らしが想像できたでしょうか?ここでしか見られない貴重なものがたくさんありました。木々に囲まれたエリアなので、影が多くて涼しいのも魅力です。とはいえ、自然が豊かなために、ヘビがいたりもするのですが……(危うく踏むところでした)。朝イチで来るとあまり混んでいなくてゆったり楽しめますよ!

Dapitan City Plaza ダピタン・シティ・プラザ

続いてはダピタンシティプラザ。リサールに縁のある地というからには、こちらにもやはりホセ・リサール像。日が照ってくる10時台に行ったので、日向は人影もまばら。むしろ広場を囲む道路の陰になっている場所に、トライシクルやアイスの屋台などがちらほら見られました。

彼がこの地で過ごしたことを示すモニュメントも並んでいます。

モニュメントは低めの塀と門に囲まれていました。モニュメントと対面する門の奥には教会が聳えています。

こちらの聖ヤコブ教会(Church of St. James the Greater)には、かつてリサールがミサを聞く時の定位置の記録があります。彼は教会から破門されており、ミサに参加する事ができなかったのだそう。そのため、少し離れた柱の辺りに立ってひっそりと祈りを捧げたのだとか。

祭壇の装飾や天井の模様、ステンドグラスに至るまで、とても手が混んでいます。筆者がここを訪れたのは平日の真昼間でしたが、前の方の席で市民の皆さんが集まって讃美歌を練習していました。コミュニティ形成の場でもあるようです。

ダピタンの街全体がホセ・リサールの歴史を残そうとしているのが感じられました。

Punto del Desembarco en Dapitan プント・デル・ディッセンバルコ

Puntoは「ポイント」、Dissembarcoは「下船」という意味だそう。流刑でダピタンに着いたホセ・リサールの下船場所にも、当時の様子を再現した像が建てられています。しかも金色。よほど大事な瞬間だという思い入れがあるのでしょう。

場所は海沿いの道路のすぐ横。ぐるっと1周道路が走り、ロータリーのようになっています。ダピタンを回る際には必ず通るポイントだと思うので、見つけるのはそんなに難しくありません。

近くにはダピタン市庁舎もあります。本筋とはあまり関係ないのですが、お城みたいな外観が素敵だったので載せておきます(笑)。

まとめ

いかがでしたか?街を挙げてホセ・リサールの歴史を後世に、そして今の人々に伝えている観光地でした。リサールのことを1つ知るたび、1つでも十分すぎる属性が後から後から追加されていき、危うく宇宙を背負うところでした。危ない危ない。

『植民地の農家の次男が祖国独立の英雄に成り上がった件』でなろう系小説が出てもなんの違和感もない主人公の”格”を感じます。ラノベの主人公より素で強いのは、将棋の藤井竜王だけと相場が決まっていたはずなのに。

ちなみに彼は行く先々に恋人がおり、合計するとそれはもうとんでもない数になったのだそう。……まるで違う世界線を生きているかのようですが、実在の人物です。凄まじい。

知れば知るほどワケが分からなくなる万能の英雄、ホセ・リサール。ダピタンでは彼の常人離れしたエピソードをいくつも深堀りすることができます。一度、彼の歴史を辿り、「え、これがノンフィクション?」と慄いてほしい。これがダピタンを巡った筆者の率直な感想です。ぜひ、現地を訪れて、筆者と同じ気持ちを味わってみてくださいね!(^^)

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