【コラム】湾内を3周してくれた船長、お茶を差出し苦労をねぎらう記者、フィリピン残留者に対する沖縄の深い共感力

津堅島出身の冨里利雄さんが、残留2世の異母姉、冨里ゼナイダさんをフィリピンまで訪ねてきてくれたことがある。利雄さんは、父の先妻となるゼナイダさんの母のお墓参りをしたいとゼナイダさんの故郷ビコールまで行くと申し出てくれた。ゼナイダさんのお母さんは戦中に病気を患いゼナイダさんを残し他界した。

村の長老たちの助けを借りて、皆で埋葬された場所を探しだした。そこは墓標もなく小学校の裏手の寂しい一角だった。利雄さんが持参したお花とお線香を立て、黙とうを捧げていると、どこからか蝶々が飛んできた。知念ノルマさんの津堅島訪問に同行していたフィリピン人スタッフのマリーさんが声を上げた。

「お母さんとお父さんが会いに来たよ!」

蝶々はご先祖さまだという沖縄の言い伝えを覚えていたのだ。皆のあいだを縫うように飛ぶ蝶の姿を見て、ゼナイダさんと利雄さんは一緒に泣いた。フィリピンと沖縄、それぞれの地で長い戦後を生きてきた姉弟が、言葉は通じなくても思いを通わせた一瞬だった。

「冨里さんと異母姉ゼナイダさんのお墓参り」

今、沖縄では映画『日本人の忘れもの フィリピンと中国の残留邦人』をロングラン上映中である。9月30日まで沖縄市のシアタードーナツにて。

 

「忘れもの」にしないことの大切さを、戦後、多くの「忘れもの」を押し付けられてきた沖縄の人たちがしっかりと受け止めて、そして上映を続けてくださることの意味を、改めてかみしめる戦後75年目の夏である。