【コラム】湾内を3周してくれた船長、お茶を差出し苦労をねぎらう記者、フィリピン残留者に対する沖縄の深い共感力

津堅の島を去る朝が来た。前の晩、親族のみなさんは「明日、港に見送りに行くからな」と言ってくださっていたが、乗船時間が近づいても誰も来ない。「フィリピンタイム、オキナワンタイムも一緒だね」とノルマさんと笑いあいながら、仕方なく船に乗り込んだ。出航時間がきてしまったのだ。そのとき、大勢の親せきの方たちが続々と波止場に集まってくる姿が見えた。それを目にしたとたん、それまで気丈に笑顔を浮かべていたノルマさんが、こらえきれずにタオルに顔をうずめて泣き出した。

連絡船に乗るノルマさん

もう二度と、訪れることは叶わないだろう父の土地。会うこともないであろう父の親族たち。長い間、夢見ていた時間は終わろうとしていた。ノルマさんの胸中を考えると、ぼくも言葉がなかった。その時だ。出航した船が、なんと汽笛を鳴らしながら、ゆっくりと湾の中を回り始めたのだ。しかも3周も。船の上のノルマさんが、津堅島とゆっくりお別れできるようにという、船長の粋な計らいだった。

「東京では考えられないことだなあ。勝手にこんなことをして出航が遅れたら、船長はクビになっちゃいますよ」と感動のあまり思わず隣の乗客に話しかけると「ここの人間に、そんなことで怒るやつはいないさ」と笑顔で返事が返ってきた。これまで、26件の親族対面が実現したが、そのうち実に15件が沖縄である。もちろん母数が多いというのもあるが、その上で、フィリピン残留者の境遇に対する共感の深さも沖縄ならではのものを感じることが少なくない。