【コラム】湾内を3周してくれた船長、お茶を差出し苦労をねぎらう記者、フィリピン残留者に対する沖縄の深い共感力

残留2世の姉弟、神山月子さんとシゲルさんが来日した時の、東京と沖縄のメディアの温度差は忘れることができない。東京の某メディアは、初めて飛行機を乗り継いでミンダナオの奥地から日本に到着したばかりの2人を取り囲むなり、「なぜ今日本国籍を求めるのですか?」と尋ねたのだ。2人が顔をこわばらせるのを見て、ぼくは恥ずかしくなった。「どうせ子どもたちを出稼ぎに来させたいからだろう」と言わんばかりの、メディアの浅ましい意図が透けてみえるようだった。

親族対面のために沖縄に飛んだ2人を、今度は地元のメディアが出迎えた。到着ゲートに現れた2人に対し、「ようこそいらっしゃいました。お疲れでしょう。まずは座ってお茶をどうぞ」とさんぴん茶を差し出したのだ。このマスコミの姿勢の違いにすべてが現れていると感じた。

フィリピンと同様に過酷な地上戦に巻き込まれた沖縄の方たちは、フィリピンに戦後残留せざるを得なかった2世たちの過酷な戦後に対するシンパシーがきわめて深い。住んでいた村が戦場になるということ。昨日まで隣人であった人が敵になるということ。戦地を生き延びてきた残留者の痛みを理解し寄り添う沖縄の方たちに、ぼくたちは活動しながら幾度支えられたことだろう。

沖縄県平和祈念資料館 展示 「むすびのことば」