日下 渉(くさか わたる)
1977年生まれ。名古屋大学大学院国際開発研究科准教授。
大学生の時、ダバオッチ創設者ハセガワらとレイテ島でのワークキャンプ活動にのめり込む。その後、頑張って勉強したり、フィリピン大学に留学したりして研究者になる。気持ちは日本で働くフィリピン人海外出稼ぎ労働者。退職後にフィリピンで暮らすことを夢見ているが、かつてほれ込んだフィリピンの「懐の広さ」や「優しさ」が、どんどん失われているようで少し不安に思っている。2019年9月から1年間、タグビララン市に在住中。
主要著作に、『反市民の政治学――フィリピンの民主主義と道徳』(法政大学出版会、2013年)、『フィリピンを知るための64章』(大野拓司・鈴木伸隆との共編著、明石書店、2016年)、Moral Politics in the Philippines: Inequality, Democracy and the Urban Poor, National University of Singapore Press and Kyoto University Press, 2017など。
なぜ、最近のフィリピン人は、かくも「規律」(disiplina)を声高に語るのだろうか。私は1997年に初めてフィリピンを訪れ、2002年にはマニラのスラムに1年間住み込んだ。当時、人々の多くは法を守る「規律」よりも、日々の「生活」(kabuhayan)と、人間としての「尊厳」(dangal, dignidad)を重視した。とりわけ貧困層は、役人に賄賂を渡して土地を不法占拠したり、街頭販売をして暮らしていた。不正を見て見ぬふりする(dedma)が、社会規範だった。国家リーダーや中間層から「犯罪だ」と批判されると、「私たちは法を侵しているかもしれないが、家族の生活のためだ。貧しいからって尊厳を否定するな」と反論した。
しかし今日、スラムの住民までがドゥテルテの「規律」を支持している。社会を良くするには、規律なき「悪しき悪者」(pasaway)の排除が必要だというのだ。その代表は、社会の頂点にいる伝統的エリートと、底辺にいる麻薬密売人・常習者である。最近では、そこにコロナ対策の防疫違反者も加えられた。ウイルスの感染拡大が収まらないのは、防疫を破って外出し、酒を飲む規律なき悪者のせいだというのである。いまや人々は、不正を見逃し合うのではなく、積極的に政府に報告するようになった。