【コラム】忘れ去られたまま過ぎ去った数十年の時計の針をゆっくりと一緒に巻き戻していくということ

2005年当時、携帯電話はまだあまり普及しておらず、経済的に困窮する残留2世に家族たちには手の届かないものだった。ダバオ市内ママイロードにあるフィリピン日系人会のオフィスに行くと、「日本から父や母の身元を探してくれる日本人たちが来てるぞ」と風の噂を聞いた彼らは、9時間かけて事務所までくる人、交通費を近所の人に借り、ジープを乗り継ぎ、食器とビニール袋に入れた米を持参した彼らは、道ばたでそれを炊いて空腹を満たしてやってきていた。詰めかけた何家族もの彼らは、おおかたアポなしでやってくるため、事務所はいつも残留二世であふれかえった。

戦後日系人が逃げ込んだ山間部

ダバオ市内までやってくることのできないカリナン、トリル、はてはジェネラルサントス、マティ、ガバナーヘネロソに住む残留者たちの元へ、野を越え山を越えて訪問することも少なくなかった。ダバオに何度も足を運びながら、何人もの残留2世たちと出会い、その人生を記録してきた。

ぼーっとしてなかなか言葉が出てこなくても、戦前の暮らしぶり、記憶の中の父のことを話す時には目に力が戻ってくる2世もいる。「ぽっぽっぽ、はとぽっぽ」と記憶をたぐり寄せて歌を歌ってくれる2世もいる。ダバオの強い日差しが照りつけるニッパやしの家の中で、おばあさん、おじいさんたちから頼りなく絞り出される一言一言を、陳述書という形にとどめていく作業だ。