ダバオ市でもヒト免疫不全ウイルス(HIV)を患って暮らしている人がいる。その治療はとても辛く、周りからの目や言葉に傷つく経験をしている人も多いという。どのような苦労があったのか、ダバオ市ではそのようなサポート体制があるのか、ここではお伝えしていきたい。
ダバオ市に住む38才の女性は、定期的な治療を受けてから状況が改善した。しかし、ここに至るまでには多くの困難や悩みがあったという。
最初に調子が悪いと感じたのは2013年9月のことだった。「この2か月後、咳をしたら吐血し、背中も痛かったです。熱があって、午後になると悪寒がしました。その後、結核と肺炎を患っていることが分かりました。血小板の数もかなり減りました」とこの女性は語った。
しかし、この女性はすぐには治療を受けなかった。その後2014年、症状が悪化した女性は、家族の勧めでセブからダバオ市に戻ってくることになる。そして、南フィリピン医療センター(SPMC)での治療を受けに行くと、結核だけでなくHIVも患っていることが明らかになった。
ここからの治療が困難を極めた。治療初期のことについて、この女性は、「肌がとても黒くなりました。やせ細ってしまいました。治療を受ける前はかわいい見た目をしていましたが、投薬が始まってから雰囲気が変わってしまいました。近所の人たちはとてもショックを受けていました。自分の後ろで何を話していたかは分かっていました。なぜ病院にあれほどに通っているのかと。私が病気だから、近くに寄り付く人はいませんでした。振り返ればとても辛い時間でした」と語った。
10か月間、この女性は外出することもなく、誰とも話したくないと思った。インターネットで出会ったドイツ人の男性がフィリピンを尋ね、一緒に海に出かけた際には「なぜヒトデを怖がるの?どっちみち死んでしまうじゃないか」と言われたという。
その後、HIVの治療のためにMa-aにある刑務所でこの女性は治療のため滞在することになった。しかし、部屋に隔離され、2年もの間友達もできなかったという。しかしながら、刑務所のなかで彼女はオンライン学習に取り組み、上級救急救命士の訓練を受けた。彼女がどんな人か一緒に刑務所で過ごした人たちが分かるまで、奉仕活動にも取り組んだ。そうして彼女の心の氷は、友人や治療をしてくれた看護師によって溶かされていくのだった。
そして2019年、治療を終えたこの女性は、地域社会でもっと精力的に活動することを決め、薬物中毒だった人たちのカウンセラーとなる。「彼らを導き、カウンセリングをしています。カウンセリングが必要な人たちを注意して見ています。人生を再スタートできるように支援しています。私は、今では完治していますし、ここ8年間薬を使ったことは一度もありません」と、この女性は語った。
薬物治療を管轄するダバオ市の施設「Reproductive Health and Wellness Center (RHWC)」のJordana P. Ramiterre医師は、2016年2月から2021年6月にかけて、HIVと結核を同時に患っている人が160名おり、そのほとんどが18~34才であったと語っている。また、2021年6~9月では、これまでに95名のHIV陽性者のうち9名が結核の治療をすすめられたという。同医師によると、結核とHIVが併発した場合、まずは結核の治療に約6か月を要す場合が多く、結核が完治してからHIVの治療に入るという。しかしながら、薬物が効かない身体となってしまっている場合、投薬量を増やさなければならない、治療期間が延びてしまうなどの悪影響も発生してしまう。
HIVや結核の治療には多大な時間がかかり、その副作用もかなり大きい。日々の予防策が大切だといえよう。それと同時に、この女性の困難に負けない姿、同じ苦しみを味わっている人を助けようとする姿は、周りの人たちの大きな力になっていることを強く感じる。