前回の記事に引き続き、戒厳令後のミンダナオ島西部の状況をお伝えします。
5月23日の戒厳令発令を受けて、ミンダナオ島北西部では特に危険な状況が続いています。ダバオッチ編集部では前後数週間のミンダナオ島及びマラウィ市周辺の状況をまとめました。
5月23日
ISに忠誠を誓う過激派組織「アブ・サヤフ」幹部のイスニロン・ハピロンがマラウィに潜伏しているとの情報を得て、政府軍が身柄確保に向かう。ハピロンを匿っていたマウテグループと銃撃戦となる。これをきっかけとして政府軍・フィリピン警察とマウテグループの交戦が始まり、マラウィ市のダンサラン大学及び、マラウィ刑務所に火災が発生。政府軍側に8名の負傷者が出る。同日、大統領府からミンダナオ全域に戒厳令が敷かれる。
5月24日
マラウィ市からの住民大規模避難が始まる。過激派組織により107名の囚人がマラウィ市内の2ヶ所の刑務所から解放されたとの報道がなされる。同刑務所は前日に襲撃され放火による火災が発生。
5月25日
ドゥテルテ大統領がフィリピン全土の戒厳令の可能性を示唆。ダバオ市が戒厳令に関する市民ガイドラインを公開。マラウィ市では死傷者が50名以上にのぼり戦火が拡大。
5月26日
カリダ訟務長官が過激派組織IS系武装勢力の中にインドネシア人やマレーシア人の外国人がいたことを発表。周辺各州にようる物資などの支援が始まる。政府が一連のテロ活動を「侵略」と位置づけると発表。ドゥテルテ大統領が「例えレイプしても俺が責任を取ってやる」という主旨のジョークで兵士を激励したことが国際的に問題視される。
5月27日
南ラナオ州知事が20万人のマラウィ市民のうち約90%が戦火を逃れて避難中であると報告。サギアラン集会所には1,832世帯が避難しているが食料など物資が不足しているとの報道。
5月28日
コタバト市が大人も含めた夜間外出禁止令を発令。市内37のバランガイにおいて夜間の外出が制限される。
5月29日
フィリピン国家警察デラ・ロサ長官からミンダナオ島での戒厳令下での「銃器の携帯禁止令」が公布される。住民は銃器ライセンスを所持していても屋外への持ち出しが禁止される。フィリピン陸軍、海軍がマラウィ市の8つのエリアを制圧。3つの村での制圧作戦を開始。フィリピン航空がミンダナオ渡航に関して厳重なIDチェックを開始を発表。
5月30日
マラウィ市の過激派組織の外国人メンバーの存在が明らかになり、少なくとも4名のISISの外国人メンバーが死亡したと発表。
5月31日
軍事力を強化するためにフィリピン海軍がイリガン市(マラウィ市北35キロ地点)に到着。ザンボアンガ市で機関銃などを所持していたアブサヤフと思しき2名の構成員を逮捕。
6月1日
戦場となっているマラウィ市から140,155人、約70%市民が他の地域に避難したことが確認される。これまでに89名のテロリスト、市民19名、政府軍兵士21名が死亡。現在のところ、マラウィ市の9割が政府の管理下に入っているが、依然として10%程度の地域がテロリストの占拠下にあり、30~40名のテログループ構成員が政府軍と交戦中。また2,000名ほどの市民がそれら地域の村に取り残されているとの情報も出ている。また誤爆で国軍兵士11名が死亡したとの報告があり。
6月2日
カガヤン・デ・オロ市、イリガン市などがマラウィ市から避難している児童、生徒を受け入れると発表。アブサヤフ幹部イスニロン・ハピロンの取り巻き3名が死亡したがハピロンは未だ確認されず。これまでに8名の外国人テロリストが死亡したとの発表。
(写真:国道で検問を実施する国軍兵士ら)