【コラム】ダバオとの出会い~ ダバオを初めて訪れたときのことなど~(2)

ダバオ

谷口 知司(たにぐち ともじ)
1955年生まれ。元京都橘大学現代ビジネス学部ならびに同大学院文化政策学研究科教授。
東北大学大学院教育情報学教育部博士前期課程修了 博士(文化政策学)専門 観光学、文化情報学。
初めてダバオを訪問した時からそのポテンシャルを感じ、ダバオ観光の発展を願っているダバオファン。ダバオッチ創設者ハセガワ氏は彼がまだNGOに勤めていた頃からの友人である。
主要著作に、『ひろがる観光のフィールド』(共編著、晃洋書房、2020年)、『これからの観光を考える』(共編著、晃洋書房、2017年)、『デジタルアーカイブの資料基盤と開発技法』(共編著、晃洋書房、2016年)など。


前回の記事はこちら)ダバオ空港で二人のNGOスタッフに出迎えられた私たちは、NGOの現地ドライバーの運転する車で宿泊先のウォーターフロント インシュラー ホテル ダバオに向かった。途中の道が工事中だか事故だかで閉鎖中ということで少し遠回りした記憶がある。ホテルで型通りのセキュリティーチェックを受けたあと、チェックインを済ませた。同行のS氏はミンダナオ国際大学(以下MKDと略す)の隣にあるNGOのドミトリーに宿泊するということでいったん別れた。「また夕刻にお迎えに来ます」ということでスタッフ達とも別れた。

ホテルのバルコニーからは、サマル島のビーチとそこに渡る小船が行き交うのが見えた。綺麗に整備された庭には、何本もの椰子の木に囲まれた小さなプールがあり、従業員が高さ20mはあるだろうかというこの木の上まで一気にのぼり椰子の実とりをしている姿が見えた。

ウォーターフロントインシュラーホテル

程なく時間が過ぎ、NGOスタッフとS氏が迎えに来て私たちは車で夕食会場に向かった。もうすでに薄暗くなった車窓からはダバオの町並みやたくさんの客を乗せたジープが行きかうのが見えた。夕食の場所は覚えていないが、そこで三宅氏(現ミンダナオ日本人商工会議所会頭)を紹介された。当時彼はMKDで日本語教育の責任者として勤務していた。翌日以降に訪問したMKDの日本語教育センターには、永年彼が中心となって作成した数多くの日本語教材があって、彼がこの地の日本語教育に並々ならぬ情熱を注いできたのであろうことがよくわかった。MKDの日本語教育は、今日でも高く評価されているが、その礎を築いた功労者でもある。