【コラム】ダバオとの出会い~ ダバオを初めて訪れたときのことなど~(2)

当日彼らと食べた料理は、フィリピン料理であったのか、はたまたタイ料理だったのか、西洋料理だったのかすっかり忘れているが、とにかく美味かったことだけは覚えている。もちろん異国での新たな人々との出会いの喜びや、その結果生まれたその場の高揚感などが食事の味にまで大きく影響したことも否めないが、その後幾度かのダバオ滞在で取った食事はどれも美味しく、この町の食のレベルとそのバラエティーの豊かさはアジア有数の位置にあると思っている。サンミゲルのビールの味を覚えたのもこの時で、日本でも時々サンミゲルビールを買い求めてダバオを懐かしむこともある。

翌日は、この旅の本来の目的である、戦前・戦中・戦後と、この地で日本人・日系人が辿ってきた足どりを巡った。この時はS氏と私たちに対し、NGOのT氏、そして前述の三宅氏が案内役をかってでてくれた。当時の写真で回想法風に記憶を呼び起こしてみると、最初に向かったのは、タモガンにある「慰霊碑・納骨堂」である。この碑堂の後ろに山と谷が広がっているが、ここに日本兵や在留日本人たちが逃げ込み、その多くが病死や餓死したと言う。このあたりで収集された遺骨が、この「納骨堂」に納められている。碑堂には「この地ダバオ市マランバマリログ地区サムブノタンを中心としたタモガン山中にはまだ多くのお遺骨が集骨されず放置のままとなっています」と記されていた。

そこから車で10分位のところに、日系人が日本の慰霊碑を守っているということで、その方のお宅に向かった。その方の家は小さな集落に位置し、名前は“アモイさん”で、日本人名は“サカイさん”である。“アモイさん”は日本人の父親とフィリピン人の母親の間に生まれた日系二世の小柄な男性で、この方から綺麗な日本語で挨拶された後に、慰霊碑を案内してもらった。この碑には「激戦地追悼碑」と記されており、旧山田部隊(353大隊)生存者一同が、1974年にこの地に建てたものである。